为了一座钟,我去见了这座大火后的城市
铃木啓太(日本人)曾在南京大学朝鲜语系留学3年已就业
高中时在日本参加中文演讲比赛,获南京大学交换生项目奖学金,而来到南大学习一年,之后正式在南大就读韩语专业。2019年夏天毕业后,赴韩留学,2021年已毕业。
这是《外国人眼中的中国》第167篇
ゴールデンウィークが終わり、絶望の中で仕事をしている筆者です。合計6日間も沖縄旅行に行ったため全身日焼してます。夜は日焼した部分が痒くてよく眠れません。
我是黄金周结束后,在绝望中工作着的笔者。由于去冲绳旅行了6天,我全身都晒伤了。晚上晒伤的地方很痒,睡不好觉。
そこで今回、沖縄に滞在して感じたことや思ったことを徒然なるままに書いていこうと思います。
所以,这次我想把在冲绳旅游时的感受到的和想到的事情写下来。
沖縄旅行の一日目、最初に行った場所は首里城です。首里城、皆さん知ってますか?あの悲惨な首里城です。
冲绳旅行的第一天,我最先去的地方是首里城。大家都知道首里城吗?就是那个悲惨的首里城。
2019年1月に30年にも及んだ復元工事がついに終わったと思ったら、同年10月に火災で焼失したのも記憶に新しいですね。4年前に火災で焼失しただけあって、特に見るものもありませんでした。
一想到2019年1月,长达30年的复原工程终于结束这件事,同年10月因火灾又被烧毁这件事也让人记忆犹新。因为4年前被烧毁了,所以其实没什么可看的。
そんな首里城に私が行った理由、それは「万国津梁の鐘」を見る為です。万国津梁の鐘とは15世紀に琉球国王が製作させた鐘であり、海洋貿易国として栄えた沖縄のシンボルです。鐘の銘文は長いので全部は紹介しませんが、下記の一文から始まります。
我去首里城的理由是为了看“万国津梁钟”。所谓的“万国津梁钟”是15世纪琉球国王制作的钟,是作为海洋贸易国而繁荣的冲绳的象征。钟的铭文很长,所以就不介绍全文了,我们就一起看看下面的这部分内容吧。
琉球国者南海勝地而 / 琉球国者南海胜地而
鍾三韓之秀以大明為 / 钟三韩之秀以大明为
輔車以日域為唇齒在 / 辅车以日域为唇齿在
此二中間湧出之蓬莱 / 此二中间湧出之蓬莱
島也以舟楫為万国之 / 岛也以舟楫为万国之
津梁異産至宝充満十 / 津梁异产至宝充满十
方刹地靈人物遠扇和 / 方刹地灵人物远扇和
夏之仁風故吾 / 夏之仁风故吾
ここで琉球は「舟楫を以て万国の懸け橋(橋梁)となる」と言っておりますが、これは一体どういう意味でしょうか。この一文を完全に理解するためには、当時の歴史的背景を知らなくてはいけません。
这里琉球说“以舟楫成为万国的桥梁”,这到底是什么意思呢?如果想要完全理解这句话,就必须了解当时的历史背景。
この鐘が製造された時代、15世紀はヨーロッパでは大航海時代が始まり、そして中国では明の洪武帝が即位した時代。
万国津梁钟制造的时代是在15世纪欧洲开启大航海时代之后、中国明朝洪武帝在位时期。
そんな時代の中、琉球は明の冊封国としての地位を活かし、対明貿易の中心地として栄えます。
在那个时代,琉球作为明朝的附属国十分活跃,作为对明贸易的中心地而繁荣起来。
当時日本やポルトガル、オランダ、朝鮮等の国が明との海上貿易を求めていました。しかし明は「海禁令」により一切の海上貿易を禁止します。
当时日本、葡萄牙、荷兰、朝鲜等国家寻求与明朝进行海上贸易的机会。但明朝因“海禁令”而禁止一切海上贸易。
これは冊封国以外の国との海上貿易を禁止するものですが、逆に言えば明と貿易を行いたい国は冊封国(琉球)を間接的に経由すれば貿易が行えるということになります。
即禁止与附属国以外的国家进行海上贸易。反过来说,如果想与明朝进行贸易,可以间接通过附属国琉球)进行贸易。
上記の理由により琉球は日本や欧州海洋国、朝鮮、果ては当時の東南アジア商人、イスラム商人などの多くの商人が集う対明貿易の中心地として繁栄したわけです。
由于上述原因,琉球作为日本、欧洲海洋国家、朝鲜、甚至当时的东南亚商人、伊斯兰商人等众多商人聚集的对明贸易中心而繁荣起来。
そんな歴史的な背景を知ったうえで首里城に行くと、今は何もありませんが、古の海洋国家として繁栄した琉球が瞼の裏に浮かびます。首里城は小高い丘の上にあり、そこからは遠くの海まで眺めることができます。
了解这段历史背景后再去首里城的话,虽然现在眼前什么都没有,但是作为古代海洋国家而繁荣的琉球竟在我眼中浮现出来。首里城坐落在一座小山丘上,从那里可以眺望远处的大海。
「きっとイスラム商人や金髪碧眼のヨーロッパ商人もこの風景を見たのかな、いやここは王宮だから商人が入れる訳ないか」と考えを巡らせていると、焼けて何もない首里城ですがあっという間に時間が過ぎていきました。
“伊斯兰商人和金发碧眼的欧洲商人一定也看到过我眼前的这风景吧。不不,这里是王宫,所以商人怎么可能进得来呢?”我就这样思考着,虽然是已经烧毁了什么都没有的首里城,但时间就这么一眨眼就过去了。
さて肝心な「万国津梁の鐘」ですが、現在は県立博物館に展示されており首里城には展示されていません。せっかく来たのに残念です。
然而最重要的是明明是“万国津梁钟”,现在却是在县立博物馆而非首里城展出。我可是专门为它而来的,真是太可惜了!
【未读】来自竹内亮的感谢信
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